ウェブマスター(サイト運営者)のウェンディ・シェリダンの経歴について
私は1956年にニューヨーク市で、4人姉妹の末っ子として生まれました。父はがんで38歳のときに亡くなりました。私は8歳でした。父の死後しばらくして私はギターの演奏を始めました。私は若いときに音楽の虜(とりこ)になり、結局、私は学校を逃げ出し、アズベリー公園の音楽シーンの栄光の日々をブルース歌手兼ギターリストとして音楽活動を開始しました。私は1975年にキーウエストに引っ越し、1983年にオランダに移住するまでの8年間その素敵な島で素晴らしい歳月を過ごしました。音楽は私の自由への切符でした。それは私を世界中のすべてに連れて行き、仕事よりも冒険的なものでした。すべてはうまくゆき、40歳の終わりに私は「今年も私の人生最良の年であり続けた」と考えていました。それから私の人生を変えるある出来事が起こりました。
1997年に私の姉の46歳のジェニーが、希で悪性の炎症性乳がんと診断されたのです。私のほかの二人の姉と私は、彼女を世話するための生活を始めました。彼女は大量化学療法と細胞移植を行いました。彼女の闘病は、勇ましくも短いものでした。6か月後ジェニーは亡くなり、私の姉のモゥーリンが男性の病気と思われていた膀胱がんと診断されたのです。彼女は49歳でした。
ジェニーの最悪のシナリオの後、私たちはいろいろなことに疑問を持たざるを得ず、私は情報を探し始めました。私はインターネットを通じて私のような人たちに会い、患者が知りたいことや有効性の確認、すべての選択肢についての情報にアクセスできることの必要性を認識しました。膀胱がんは女性には希で、その情報は乏しいものでした。このことがきっかけで、私は私の夫の多大な協力を得てこのウェブサイトを作りました。ウェブカフェは、膀胱がんの情報がほとんど見つからなかった1999年6月にオンラインで開設しました。
この期間、私は私の乳房に妙な変化が起こっているのに気付きましたが、私はドラマの女王であり続けようと自分自身に笑い、乳房の皮下脂肪のところを白く塗り、「乳房エックス線写真(マンモグラフィ)の撮影を受けるんだ」という私の頭の中の小さな声に耳を傾けませんでした。結局、私は、私の夫が悪性になった塊(かい)に気づくまで、約1年間、診断を拒み続けていました。私は43歳でした。
世界中がミレニアムを祝福している間、私は放射線療法の後に続く乳房切除と5年間のホルモン療法を受けました。私は、私の父と姉が化学療法で大変苦しんでいたのを見ており、化学療法を大変恐れていたので、これを拒みました。3Cの乳がんの進行状況の予測は恐ろしいもので、多くの面倒な事態や恐れはありましたが、私は2006年の終わりには7年間生きたという記録がつきました。私の姉のモゥーリンは、お陰さまでがんを克服し続けています。私たちは幸運であると思っています。私たちは多くの家族と友人をこの病気で亡くしました。
私は、診断については私の姉二人よりもっと簡単だったということを発見しました。生きるか死ぬかの塀の上をまたいだ後、私は、がんはほとんどすべての点で、看護・介護をする人の大きな負担となっていると感じました。
私の乳がんの診断と治療及び副作用は、私の25年間のミュージシャン生活を終わらせましたが、がん患者と看護・介護をする人との私のかかわりは今や片手間ではやれない「仕事」です。私の夫の驚くほど続く支援のお陰で、私はこのウェブサイトの維持に私の時間を捧げ、調査・研究の追跡を行い、専門家との意見交換及び会議への出席をすることができますが、最も重要なのはウェブカフェの支援グループやオンラインフォーラムからの協力という力添えです。
がんがこんなにも物事を変えてしまうのかということは、大変おかしなことです。私の楽器はほこりをかぶり、私はもう歌うことは困難ですが、私の年老いた人生を惨めとは思いません。私はまだできるだけ旅行をし、ビーズを集め、宝石の装身具を作り、花を育てること、犬と猫と戯れることが好きで、私の小さな居住用平型屋形船に来訪者を迎えて、アムステルダムの運河まで旅をし、最近は絵を描き始めました。今、暑い土曜日の夜の私の計画は、夫と心地良い夕食をして、よりそって良い映画を見ることです。そんな夜は、私を至福にします。
一人の人の恐怖心をいくらかでも和らげることに役立ったという経験は、周囲の拍手喝さいよりもはるかに満足できるものです。患者の主張は、よりいっそう興味があるもの、納得がいくもの、感銘を与えるものです。どこをみても、私は、毎日、勇気の深い泉を見つけ、それから学びます。それ以上に、私は、この世界がいかに美しいものであるか、素晴らしい場所であるかということを感謝しています。命は貴重なものですが、このことは当然ではあり得ません。
ウェンディ・シェリダン
あなたは、ここで、ウェブカフェコミュニティの芸術及び音楽ギャラリーにおいて、私の音楽及び絵画並びにモーリーンのステンドグラスの例を御覧になるでしょう。
出典が示されているもの以外は、ウェンディ・シェリダンが執筆又は編集したものです。
このページは、2008年5月12日に最終修正が行われました。
This is a tentative Japanese translation of Bladder Cancer WebCafe. http://blcwebcafe.org/personalinfo.asp
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原本:2007.05.12 15:30
更新:2008.06.07 17:10
このサイトは、米国国立がん研究所が公認する患者運営サイトBladder Cancer WebCafe(膀胱がんウェブカフェ)の日本語翻訳公開許諾を得て、ガンファイターが作成したものです。
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